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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和28年(う)207号 判決 1953年9月17日

控訴人 被告人 金川四郎

弁護人 鍜冶良作

検察官 宮崎与清

主文

原判決を破棄する。

本件を魚津簡易裁判所に差戻す。

理由

弁護人鍜冶良作の控訴趣意は昭和二十八年六月二十日付控訴趣意書記載の通りであるから此処にこれを引用する。

論旨第一点について

記録によれば、本件公訴事実は、「被告人は、昭和二十七年十月一日行われた衆議院議員選挙に際し、富山県第一区から立候補した同議員候補者鍛冶良作の選挙運動をした者であるが、同候補者の当選を得しめる目的」を以て、同候補者への投票取纒めを依頼する趣旨の下に、其の報酬として、同年九月二十六日頃魚津市上村木七百七十七番地所在株式会社魚津製作所事務室に於て、繰菅義一に対し、現金五千円を供与したものである。と言うにあるところ、原審は訴因変更の手続を履践することなく、「被告人は昭和二十七年十月一日施行の衆議院議員選挙に際し、富山県第一区より立候補した鍛冶良作の選挙運動者であるが、同候補者の当選を得しめる目的を以て、同候補者への投票取纒めを依頼する趣旨の下に、其の報酬として、同年九月二十六日頃繰菅義一を介し沖正勝に対し、現金五千円を供与したものである。」旨の事実を認定したものであることが明白である。思うに、裁判所は、被告人の防禦権の行使に対し、実質的に不利益を蒙らしめない限り、訴因変更の手続を経る迄もなく、訴因の記載と或程度異る事実を認定する権限を有することは、明かであるけれども斯る権限は、認定事実が、一般的に訴因中に包含されると認め得る場合にのみはじめて、これを適法に行使するを得ると解すべく、便宜に流れて濫りに権限行使の範囲を拡張し、訴因の拘束力を有名無実ならしめるが如き解釈は、到底これを採るを得ない。従つて、訴因記載事実の範囲を逸脱した限度に於て、犯罪事実を認定するが如きは仮令、審理中証拠関係等より、斯る認定に到達すべき可能性あることを、被告人弁護人等に於て、或程度予測し得たとしても被告人自ら該認定事実と符合する事実の存在を主張したるが如き特別の事情なき限り、該認定事実に対する被告人の防禦を完全ならしめたものと言うを得ず、若し裁判所が訴因変更の手続に依らずして斯る措置を執つたものであるに於ては、斯る措置は、刑事訴訟法第二百五十六条第二百七十一条第三百十二条等の趣旨に違背する違法のものであると言うべきである。これを本件について観るに、訴因記載の事実に依れば、「被告人は繰菅義一に対し、金五千円を供与したものである。」と言うに対し、原審認定事実は、「被告人は繰菅義一を介し、沖正勝に対し金五千円を供与したものである。」と言うにあつて、原審認定事実は、訴因記載事実の限度を逸脱するものであることが明らかであり、原審が訴因変更の手続を経由しなかつたことは既に説示した通りであつて、しかも記録を精査しても、原審の事実認定につき被告人の防禦権行使に不利益を与えない既述の如き特別事情の存在を見出すことが出来ない。そうして見れば、原審は訴因変更の手続に依らずして、訴因の範囲を超えて事実を認定し、これによつて被告人の防禦権行使に実質的な不利益を与えたものと言わざるを得ず、従つて、原審の訴訟手続には判決に影響する法令の違背があるとなさざるを得ないから、論旨は理由があり、原判決は此の点に於て破棄を免れない。

よつて、他の論旨に対する判断を省略し、刑事訴訟法第三百九十七条第三百七十九条に則り原判決を破棄した上、原審をしてさらに審理を尽さしめる要ありと認め、同法第四百条に則り本件を魚津簡易裁判所に差戻すべきものとし、主文の通り判決する。

(裁判長判事 吉村国作 判事 小山市次 判事 沢田哲夫)

弁護人鍛冶良作の控訴趣意

一、原判決は公訴なき事実を審判したもので破棄を免れない。公訴事実は「被告人は……繰菅義一に……供与したものである」と言うのであり、判決は「被告人は……繰菅義を介し沖正勝に……供与したものである。」というのである。結局供与の対象が繰菅でなくて沖に判決によつて代えられてしまつたのである。殺人事件で云うならば「甲を殺したものである。」という公訴事実に対して「乙を殺したものである。」と云う判決になつたと言う次第であつて原判決の誤りは明らかであるが此の点について更に詳論するならば、先ず公訴事実には沖のオの字も表れて居らないという点を、はつきり認識しておかねばならない。争点は、繰菅に供与したか否か、即ち起訴状に書いてある事があつたのか、なかつたのかが攻撃、防禦の対象であつた。然るに判決は此の審判の対象を無視して沖に供与したと言う新事実を判示しているのである。此れでは被告人は一体何を防禦してよいのか、争点は何処にあるのか、皆目見当がつかない事になる。本件で言うならば(イ)繰菅に供与したという事実が起訴状に書いてあつても繰菅に供与したという事実を裁判所は審判するかどうかわからない。(ロ)繰菅と一心同体にあるもの(検察官の言葉を借りれば)は防禦の対象として考へておかねばならない。即ち沖に供与したと云われるかもしれない。或は沖以上に一心同体的存在が会社に居るかもしれないから起訴状に繰菅に供与したとあつても之のみに安んずる事なく一心同体的な人々(会社の同僚の井田の如き、或は更に自分の妻など)に供与した事はないという反証をともかく挙げておかなければならない。(ハ)更に本件の原審の判示のやり方から推すならば繰菅に供与したという起訴を繰菅を介して〇〇〇に供与したということに変るという事は必ずしも〇〇〇の部分が沖という人物に限らず繰菅を介しAに供与したものとなるやらB、C、D、E、F……X、Y、Zになるやら、起訴状だけでは保障し難い事になる。即ち被告人は防禦する事をあきらめる外はない事になる。此の結論の不当、不法なる事は云うをまたない。思うに「被告人は……繰菅に……供与した」という事実と「被告人は……繰菅を介し沖に……供与した」という事実は別箇の事実であつて単一性を欠いているものである。従つて「現金五千円を供与した」と云う事実を「現金一万円を供与した」と変更するのと同じ問題ではない。「繰菅に供与した」と云う事実で一罪が成立するし「繰菅を介して沖に供与した」という事実で別箇の一罪が成立し得るのである。即ち右の二つの公訴事実は同一事実に対する二重の公訴とはならない。(その何れかが無罪となるかもしれないという事は別論である)依つて起訴の繰菅に供与した事実と判決の沖に供与した事実とは別の事実であるから、原判決は審判の請求を受けざる事実について審判を為したもので、破棄を免れない。

二、第二回公判調書によれば、ここに釈明なるあいまいなものがあるから此の点について一言しておきたい。裁判官は、公訴事実に依ると繰菅義一が被告人金川四郎から鍛冶候補の当選を得しめる目的を以て、同候補への投票取纒めを依頼する趣旨の下に、その報酬として金五千円の供与を受けた如くなつているが、此の点について検察官の釈明を求める。とある。之に対する釈明は第三回公判調書によつてその釈明書記載の如くであるというのであるが此の釈明書によると繰菅、沖、井田は共謀共同正犯であるから繰菅に対する供与即ち沖に対する供与であるというのである。然し乍ら(イ)、繰菅、沖、井田は共謀共同正犯であるから繰菅にやること即ち沖にやることであるというのであるが此処で考へるべき事は例へば内乱に関する罪に於て謀議に参与したる者に対し教唆幇助をなしたりという起訴を受けていたところが判決で首魁に対し教唆幇助をなしたりという事になつても差支えないのであろうかという事である。即ち謀議参与者に五千円の軍資金を与へたという起訴に対し首魁に五千円の軍資金を与へたという判決となつて差支えないであろうか、従犯は正犯の刑に照して減軽されるものであるから之が差支えないとなつては被告人に大きな影響を与へる事となる。誰に与へたかという対象を軽軽しく扱う事は出来ない。公訴事実を記載せよという法律の趣旨は尊重さるべきである。(ロ)、検察官は共謀共同正犯という事について錯覚にとらわれている。A、B、C共謀してCが実行してもA、B、C、共同正犯であるという事はあり得る。此の理論を逆に利用してAに金を供与すると、A、B、Cに供用した事になるという理論が直ちに割出せると思つたところに誤りがある。(ハ)起訴状には繰菅にやつたとある。釈明には井田と沖と繰菅とは共同正犯であるとある。判決は沖にやつたとなつている。何故判決は一心同体であるなら繰菅に供与したで通さなかつたか又一心同体であるなら何故井田に供与したとしないで特に沖に供与したという事にしたのか、説明がつかなくなる。公訴事実に繰菅に供与したとあるのに、沖に供与したと判示しなければならなかつた事由は事実が沖に供与したのであつて繰菅に供与したという事実が全然存在しないという簡単明瞭な理由以外の何物でもない。(ニ)そもそも「釈明」とは如何なるものであるか、法律的には、何等価値の無いものと云うべきである。もし釈明の結果事実に誤りがあれば訂正させるなり、訴因を変更させるなり、追加させるなりして、初めて法律的に価値のあるものとなるのであつて単に釈明しつぱなしで、事足れりと、する事はあまりに独善的である。本件は当然に訴因又は事実の変更をなすべきであるが前述の如く繰菅に供与したという事実と沖に供与したという事実は別箇のものとなるから之は許されない。そこで検察官も裁判官も(裁判官は何も検察官に義理を立てる要はない筈であるが)無理をした訳であるが、本件はあつさり無罪(繰菅に供与した事実について)を言渡すか又は繰菅に対する交付罪として罪条の変更を命ずるべきであつた。以上の論旨は一応釈明たる如何にも法律的に効果のある様なものが存している為に、だ足的に附加したものであるが、この釈明なるものによつて、別に起訴状が訂正された訳でもなく、判決を釈明の趣旨に従つて判決したとも思われないので、(繰菅沖の共犯についてふれていない)結局、あつてもなくても、同じ事であつて要は、第一項に主張した理由によつて起訴なき事実を判示した事になるから破棄をまのがれないという事につきる訳である。

三、原審裁判は訴訟手続に法令の違反があつて、その違反が判決に影響を及ぼすことが明かである。(イ)原審に於ては、検察官は起訴状を朗読しておらない。刑事訴訟法は口頭による起訴を認めず起訴するには必ず一定の厳格なる様式の起訴状を提出することを命じ、その記載が裁判所を拘束し、被告人の防禦の目標を示すことになる事は前述の通りである。よつて検察官は被告事件の要旨を陳述する事は許されない。故に必ず起訴状を朗読すべしとされたのである。然るに第一回公判調書には冐頭陳述の如き重要ならざる事項については記載あるが重要な起訴状朗読の事実がなく従つて、被告人も起訴状を読んでもらわないから「公訴事実記載の事実はありません」と読み聞けの事実でなく、記載の事実を認否している。原審は先ず被告人に対し、防禦の目標を示さずして、審理に入つた点明かに右手続の違背(法二九一条)が判決に影響を及ぼしている。

(ロ)次に裁判官は法第二九一条第二項及び規則第一九七条の所謂黙否権、供述拒否権を告げておらない。之は明かに同法今に違反するのみならず自白を強要されない様、被告人の当事者の地位を高めんとする、憲法に違反する(憲法三八条)。(ハ)更に被告人は身体の拘束を受けて取調べを受けている。何故ならば通常の公判調書には必らず「被告人は身体の拘束を受けない」と記載されるにかかわらず、本件には、之が記載が無い以上身体の拘束を受けなかつたという推定は許されない。之を調書にはつきりしてもらはなければ、被告人が身体の自由供述の任意性を保障されない事になるから調書に記載ないことは行われないものと推定されなくては全く憲法の保障が無意味となる。依て刑訴法第二九一条憲法第三一条第三六条第三七条第三八条に違反である。

四、本件公訴事実は全く事実無根の事である、此の事は被告人が第一回公判調書に於て……最後まで記憶がないと述べておりましたが、会社の従業員等も逮捕されているので私は会社を思い、従業員の事を心配して、早く勾留を解除して貰いたい為、取調官の云う通り、認めたこともありましたが……と云つておる通りである。本件の捜査に当つて、会社の首脳はすべて逮捕せられ、従業員は連日取調べを受け、全く会社の機能をマヒせしめ、誰か無理にでもギセイ者を出さなくては、おさまらないという状態にして遂に被告人になつてもらつたと云うのが、真相である。従つて、その取調べも実にしつようで、しつこい。被告人の第二回供述調書は何の為に書かれ、且つ提出されたのか、意味がとれない。その中でもやはり被告人は「従業員達に可愛想だと思うばかりであります」と述べている。右供述調書第三項に明記されて居る如く本件調書(第一、二回とも)は、別の容疑で勾留されている時に本件、犯罪を調べられ、且つ調書が作成せられたものであつて果して右手続や調書が、適法であるかも疑問である。(此の点も控訴理由として主張するものである)他の容疑で調べられて、被告人の心身共に疲労している所をつけ込んで調べられているとも思える。第一回供述調書第三項に「……その金を渡した理由は賃金の内払い、又は先払い等ではなく、繰菅が云うよう……」と云う様に、誰々が斯ういつているが、そうであろうと云う調べ方が明瞭であり、右の以下の供述は被告人の供述でなくて、繰菅の云う事をそのまま検察官が書いたもので、被告人に全然覚えのない事であることが調書自体から明瞭に読み取れる。従つて原判決は事実の誤認がある。然らずとしても前科なく従業員の責任を一身に負つた被告人の心情及び支出した金員がわずか五千円であるという事情を御勘案下されば、量刑も不当なりと言うべきである。以上の通り控訴の趣旨を陳述します。

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